村上春樹著『意味がなければスイングはない』に寄せて
2008年10月18日

村上春樹はレイモンド・カーヴァーとブルース・スプリングスティーンを重ね合わせた文章を書いています。

レイモンド・カーヴァーとブルース・スプリングスティーンの共通性にもう一度話を戻そう。

二人はどちらも、あまり生活が楽ではない労働者階級の家に生まれた。カーヴァーの父親はワシントン州の製材所の町でのこぎりの整備工の職には就いていたが、アルコール中毒という問題を抱えており、生活は貧しく不安定だった。

ブルース・スプリングスティーンはニュージャージー州フリーホールドという小さな町(ブルースの歌詞の言葉を借りれば deadman's town だ)に生まれ、父親は地元の小さな工場に勤めたり、刑務所の看守をしたり、タクシーの運転手をしたりしていた。どの仕事も長続きはしなかったようだ。「僕 の育った家には本というようなものはほとんどなかった」と二人は口をそろえて回想している。芸術に考慮を払うほどの生活の余裕は、どちらの家にもなかった のだ。彼らの両親は、月々の支払いをし、テーブルの上に日々の食事を並べ、なんとか生き延びていくことで精一杯だった。

子供たちは、ハイスクールを卒業したら-----うまく卒業できたらということだが-----父親や祖父と同じ工場に就職し、ユニオン・カードを手に入れ、父親や祖父と同じような(色彩に乏しい)人生を送るのが当然だと見なされていた。大学に進学するのはきわめて稀だった。多くの若者たちはワイルドで気 ままな青春時代を送りはするが、そのような輝かしい日々もすぐに終わり、二十代はじめには結婚し家庭を持ち、生活に追われながらそれぞれに退屈な大人に なっていく。毎朝ピックアップ・トラックに乗って工場に出かけ、代わり映えのしない仕事をし、日が暮れるとバーに寄って仲間とビールを飲み、相も変わらぬ 昔話をする。それがアメリカの無数の小さな町で、世代から世代へと送り継がれてきた人生のパターンだった。そこには出口もなく、見るべき夢もない。その閉塞感は、名曲「グローリー・デイズ」の中で実に切々と語られている。

しかしカーヴァーもブルースも、そのような「アメリカの小さな町」の送り継ぎの人生に対してはっきりとノーと宣言した人間だった。スプリングスティーンは 一切の職に就くことを拒否した。彼はロックンロール・シンガーになると決めていたのだ。カーヴァーはハイスクールを卒業後、父親と同じ製材所に数ヶ月つと めたあとで「こんなことをして人生を終わりたくない」と決意した。彼は何があろうと作家になりたかった。そして彼らは町を出た。そのときカーヴァーは既に結婚していた。ブルース・スプリングスティーンの歌の文句を借りるなら、

さあ、メアリ、車に乗るんだ。
この町は負け犬たちでいっぱいだ。
僕はこんなところを出て、のしあがるんだ。

So Mary, climb in.
It's a town full of losers.
And I'm pulling out of here to win.
「サンダー・ロード(Thunder Road)」

ということになる。

彼らは結局それぞれのゆめを実現させることができた。もちろん紆余曲折はあったものの、一人は小説家になり、もう一人はロックンロール歌手になった。そし てどちらもワーキング・クラスの生活と心情をありありと描くことによって、創作者としてのアイデンティティーを獲得し、ひとつの時代を画することになっ た。

村上春樹著 『意味がなければスイングはない』 pp.117-120 より

このふたりに共通しているのは、閉塞感の充満した田舎町に見切りをつけて、自らの道を切り開いたということだろうと思います。ブルース・スプリングスティーンの曲「Independence Day」の中ではこうしたdeadman's townの閉塞感が次のように歌われます。

INDEPENDENCE DAY
Well Papa go to bed now it's getting late    さあオヤジもう寝てくれよ、夜も更けてきたのだから
Nothing we can say is gonna change anything now 俺たちが何を言おうと何も変わりはしない
I'll be leaving in the morning from St. Mary's Gate 朝に俺はSt. Mary's Gate から出て行くよ
We wouldn't change this thing even if we could somehow どうしてみたところで、俺たちはこのことは変えようもない
Cause the darkness of this house has got the best of us それはこの家の暗闇が俺たちを打ち負かしてしまったからさ
There's a darkness in this town that's got us too そしてこの町には俺たちをも飲み込んでしまった暗闇がある
But they can't touch me now  だけどそいつらは俺には手は出せない
And you can't touch me now  そしてオヤジも俺には手は出せない
They ain't gonna do to me   そいつらは俺には出来はしないだろう
What I watched them do to you オヤジにそいつらがするのを俺が見てきたことを


ブルース・スプリングスティーンが闇に飲み込まれそうな田舎町を車で流しては夜を過ごす様は、彼の「Racing in the Street」という歌に歌われている通りです。下関の町もスプリングスティーンが育った町、そして棄てた町と同様に「暗闇に閉ざされた」閉塞感しかないと言っても過言ではないでしょう。夜8時を過ぎると誰ひとりとして歩く人の姿は見えなくなります。うち捨てられ、荒涼とした闇が下関の町を飲み込んでしまう時刻です。そんな様に慣れきって多くのこの土地の人間たちは暮らし続けているのでしょうが、下関在住の小説家・田中慎弥さんの『切れた鎖』にはそんな下関の救いがたいほどの閉塞感が如実に描かれています。

この国の多くの弱小都市が抱え込んだ「闇」がここ下関にもあります。