| 「もう海はありませんよ」--- 村上春樹の「海」 (2006年10月14日) 先月の東京行きの飛行機の中で一緒した先生と並んで座っていた。先生が窓際、そしてボクが通路側。 離陸してしばらくたって「大阪が見えるよ」と先生が言った。 窓から下をボクも覗いてみるとそこにあったのは、神戸市の沖合に作られたポート・アイランドや六甲アイランドの人工的に埋め立てた四角な土地だった。かつてはそこに海が広がっていたはずなのに。。。 村上春樹はこのように海を埋め立て海辺が消えていくことを悲しむ。 『羊をめぐる冒険』の中に下のような文章がある。 「僕」が親友だった「鼠」の彼女と交わす会話の場面。 「離婚してから彼(=鼠)に会うまでの5年間、私はこの街で一人きりで、まあわりに非現実的に暮らしてたの。知った人も殆どいないし、たいして外に遊びに行きたくもないし、恋人もいないし、朝起きて会社に行って、図面を書いて、帰りにスーパー・マーケットで買い物をして、家で一人で食事をするの。FM放送をつけっ放しにして、本を読んで、日記をつけて、風呂場でストッキングを洗うの。アパートは海岸にあるから、ずっと波の音が聞こえたわ。寒々しい生活だわね」 彼女はオレンジ・ジュースの残りを飲んだ。 (中略) 僕はウェイターを呼んでソルティー・ドッグとカティー・サークのオン・ザ・ロックを注文した。 「どこまで話したかしら?」 「寒々しい生活、というところです」 「でも本当のことを言えば、それほど寒々しいというわけでもなかったのよ」と彼女は言った。 「ただ波の音だけはね、少し寒々しかった。アパートの管理人は入る時に、すぐに慣れるって言ったけど、そうでもなかったわ」 「もう海はありませんよ」 彼女は穏やかに微笑んだ。目の横のしわがほんの少し動いた。「そうね。あなたの言うとおりね。もう海はないわ。でも、今でも時々波の音が聞こえるような気がするの。きっと長いあいだに耳の奥にしみついちゃったのね」 (pp.131-132 『村上春樹全作品 1979-1989 A』) もう今ではなくなってしまった「海」の波音が聞こえる・・・・・それはどういうことなのだろう? おそらくこの「海」は海辺近くの街で生まれ、そして育った人が持つ「原風景」のようなものだろう。 幼い頃からずっと住み育った家を新しく建て替えて暮らしていても、夢の中に、幼い頃の古い家のありさまが浮かんで来ることってありませんか? きっとそれと同じことなのだろう。 もはや埋め立てられ消えてしまった「海」の波音が聞こえてくる。 それは悲しく、懐かしい「海」の波音なのかもしれない。 もしも村上春樹の中に「海」への憧憬が垣間見えるとしたら、それはもう「閉ざされて」しまった「海」への記憶が、頑なに消え去ることを拒んでいるからかもしれない。 海があるから神戸なのだ。 港町としての神戸、その想いは消えることを頑なに拒む。 海を埋め立て空港を作る話が出たとき、多くの人が反対したのはそのためだ。 北野の異人館がわざわざ小高い坂の上に建てられたのはその窓から海が見えるからであり、海の向こうには彼らが棄ててしまった祖国が見えるからなのだ。最近、よく湘南ビーチFMをかけっぱなしにしていると、三浦半島、葉山、逗子といった土地の地図が自然と見たくなる。そして地図を見ながら思うのは、三浦半島の東側と西側の海岸線の歴然とした違いだ。東側とは横浜側、そこにはもう自然の海岸線はほとんど残っていない。それに比して西側にはなんて美しい海岸線が続くことか。。。 逗子や鎌倉や茅ヶ崎を訪れてみたくなった。そこには何か人々が忘れ去ろうとしている「原風景」がまだ残っているかもしれない気がして。このブログに遊びに来てくれる横浜のSomyさんが移りたいと言ってた田舎とは、おそらくそういった土地なのかもしれない。 追記:横浜のSomyさん、正式には浅野園美さんは夫の勇二さんとおしどり夫婦でした。東白楽から近くにお住まいで何度か泊めてもらって横浜を案内してもらいました。「素敵な人」ほど神様に愛されるのでしょう。去年(2010年)春、まず勇二さんが亡くなり、後を追うように園美さんも亡くなりました。まだふたりとも55〜60歳過ぎという若い年齢でした。ただただ黙祷です。 |